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2014年7月23日水曜日

『パール判事』東京裁判「日本無罪論」

  パール博士から日本人へのメッセージ

幸福実現党 こうの一郎のブログ 転載、させていただいた記事です

2014-07-22

おはようございます。

今日も皆様にとって、ハッピーな一日になりますように。イケてる

東京裁判では、パール判事ただ一人、敢然として日本人の戦犯全員を無罪と判決した方です。

極東国際軍事裁判(東京裁判)では、戦勝国から11人の判事がいました。

パール判事のみ、「この裁判は戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた裁判で
、国際法に違反する非法・不法の復讐裁判である」として、被告全員に無罪の判決をしました。

当時、世界では、パール判事の判決は注目を浴びました。
パール判事の堂々とした正論と知識は、国際法学界にその名を高めました。

パール判事は、非常に貧しい家に生まれ、苦学して、法学士になっています。
当時のインドはイギリスの植民地になっていました。
そのインドで英国人と対等に話し合えるのは法律家のみでした。

19歳の時に、パール氏に劇的な事件が起きます。
それは、アジアの小国日本が、ロシア帝国と戦って勝利した報道でした。

「同じ有色人種である日本が、北方の強大なる白人帝国主義ロシアと戦ってついに
勝利を得たという報道は、われわれの心を揺さぶった。

私たちは、白人の目の前をわざと胸を張って歩いた。
先生や同僚とともに、毎日のように旗行列や提灯行列に参加したことを記憶している。

私は日本に対する憧憬と、祖国に対する自信を同時に獲得し、わななくような思いに
胸が一杯であった。私はインドの独立について思いをいたすようになった」

パール判事は1944年にカルカッタ大学総長に就任されています。
名総長といわれながら、1946年には総長を辞任しています。

それは、親友のネール首相から、日本のA級裁判を裁くために
極東国際軍事裁判のインド代表を頼まれたからです。

そして、パール判事は見事にその期待に応えてくれました。

もちろん、パール判事は親日という理由のみで日本無罪を判決したわけではありません。
パール判事の国際法の知識のみならず、超人的な努力がありました。

日本滞在の2年半で、パール判事が読破した資料は4万5千部、参考書籍は3千冊に
及んでいます。アメリカ・イギリスの友人からも資料を送ってもらっていました。

パール判事は4度日本を訪れています。
昭和41年10月11日のパール判事の日本人に向けてのお話の冒頭です。

「日本の皆さんに対する私の敬愛の念を親しくお伝えするとともに、皆さんに東洋の
精神の尊厳さを再び確立していただくようにお願いしたいからであります。

東洋は今、大きな政治的ルネッサンスを迎えようとしており、東洋の諸国は日本に注目し、
日本の奮起を期待しているのです。・・・」

今も間違いなく、天国でパール判事は日本の奮起を期待されています。
多くのアジアの国が日本の奮起を期待している今こそ、誇り高き日本、世界に貢献できる
日本を創らなければなりません。

東京裁判の見直しにおいては、パール判事が東京裁判に参加していただいたことが希望です。
絶対に東京裁判の間違えを正し、日本の誇りを取り戻してていきます。






関連記事

東京極東裁判で「唯一の国際法の権威」 だった パール判事

http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/18039111.html

転載、させていただいた記事です

【米国】百田氏の「東京裁判は(原爆投下などの)大虐殺を
ごまかすための裁判だった」発言に、国務省「不合理と反論
2014年02月08日
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1391855333/

米 国務省「不 合理」と反論 百 田尚樹氏の都知事選演説

2014年2月8日02時01分

作家でNHK経営委員の百田尚樹氏が3日の東京都知事選の田母神俊雄候補の
応援演説で、米軍による原爆投下や東京大空襲を批判し「東京裁判は大虐殺を
ごまかすための裁判だった」などと述べたことについて、米国務省の報道官は7日、
「不合理な示唆だ。日本の責任ある立場の人々は地域の緊張を高めるような
コメントを避けることを望む」と反論した。

米タイム誌(電子版)が7日、在日米国大使館の談話としてこの発言を報道。
朝日新聞が米国務省に確認したところ、同じ文言の反論を国務省報道官名で回答した。

百田氏は演説の中で、東京大空襲や原爆投下を取り上げ、「残虐な行為」などと批判。
そのうえで「東京裁判は大虐殺をごまかすための裁判だった」と訴えた。

この百田さんの意見、
東京裁判の裁判員だった
インドのパール判事と同じ意見ですが・・・




東京極東裁判で「唯一の国際法の権威」 だった パール判事



イメージ 1



パールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではない。

なお、「パール判事は親日家故に日本に有利な主張をした」「反白人のため、欧米に不利な主張をした」という説は事実誤認であり、自身も強くこれを否定している。また、パールの長男も「(パールは)国際法の専門家として東京裁判を批判しただけであり、日本を擁護することを考えていたわけではない」と2007年に語った。事実、パールは意見書の中で、残虐行為などについても、敗戦国の日本やドイツ、戦勝国のアメリカに分け隔てなく批判的見解を述べ、一方の政策への個人的見解を前提とした恣意を強く戒めている。

パール判決書の概要
パールの裁判における判決書は、英文で1275ページに及ぶ膨大なものであり、全7部で構成されている。

一部
裁判官が戦勝国出身者のみで構成されている事の適切性
侵略戦争の責任を個人に求めることの妥当性

二部
侵略戦争と自衛戦争の区別。この中でパールは、日本の戦争を一方的な侵略戦争とは断定できないとしている

三部
証拠および手続きに関する規則の検討

四部
訴追事由の一つである「共同謀議」論の否定

五部
裁判の管轄権。この中では真珠湾攻撃以前の案件を扱うことは事後法となり、管轄権を侵害しているとしている

六部
厳密な意味での戦争犯罪の検討。この中では、非戦闘員の生命財産の侵害が戦争犯罪となるならば、
日本への原子爆弾投下を決定した者こそを裁くべきであろうとしている
七部
この部分はパールが裁判に対して行った勧告である。この中で全被告人は無罪であるとしている


出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB


パール判事は、戦後日本を訪問した際に、次のような言葉を遺している。
http://www6.plala.or.jp/mwmw/kotoba.html

帝国ホテルにおいて『パール博士歓迎委員会』主催の歓迎レセプションが開かれた。この席上、
ある弁護士が「わが国に対するパール博士の御同情ある判決に対して、深甚なる感謝の意を表したい。」
という意味で謝辞を述べた。すかさず博士は発言を求めて起ちあがり、

 「わたくしが日本に同情ある判決を下したというのは大きな誤解である。
わたくしは日本の同情者として判決したのでもなく、またこれを裁いた欧米等の反対者として
裁定を下したのでもない。真実を真実として認め、法の真理を適用したまでである。
それ以上のものでも、それ以下のものでもない。誤解しないでいただきたい。」と述べられた。
 この博士の高い見識に、列席者一同は益々畏敬の念を深くした

 博士はこの席上でも、また東京、大阪の弁護士協会や広島高裁での講演においても、
日本の法曹界はじめマスコミも評論家も、なぜ東京裁判やアジア各地で執行された
戦犯裁判の不法、不当性に対して沈黙しているのか。占領下にあってやむを得ないとしても、
主権を回復し独立した以上この問題を俎上にのせてなぜ堂々と論争しないのか、と
問題を提起し、奮起を促した。

 博士によれば、「いまや英・米・仏・独など世界の法学者の間で、東京とニュルンベルク
の軍事裁判が、果して正当か否かという激しい論争や反省が展開されている。
げんに英国法曹界の長老ロード・ハンキーは<パール判事の無罪論こそ正論である>
として『戦犯裁判の錯誤』と題する著書まで出版している。

しかるに直接の被害国であり、げんに同胞が戦犯として牢獄に苦悶している日本に
おいてこの重大な国際問題のソッポに向いているのはどうしたことか。なぜ進んで
この論争に加わらないのか。なぜ堂々と国際正義を樹立しようとしないのか・・・」
憤慨されるのである。

 博士は日本に来てみて、日本の評論家やジャーナリストや法律家が、東京裁判に対する
本質的な論争、ないしは戦犯の法的根拠、東京裁判で裁いた
「平和に対する罪」「人道に対する罪」が国際法とどう関連するのか、日本に
侵略的意図があったかなかったか・・・。そうした問題について、あまりにも無関心、
もしくは不勉強であると同時に、義憤さえ覚えられたらしい。

その義憤は日本人の真理探究、マハトマ・ガンジーのいう《真理把持》の精神に欠けて
いる点に対してである。長いものにはまかれろ、強いものには屈服せよという事大主義の
しみったれた根性に対する義憤である。
 博士によると「日本の外務省は、わざわざごていねいに英文パンフレットまで出して、
日本の《罪悪》を謝罪し、極東軍事裁判(東京裁判)の御礼まで述べている。
東洋的謙譲の美徳もここまでくると情けなくなる。なぜ正しいことは正しいといえないのか、
間違っていることをどうして間違っていると指摘できないのか。」
と、博士は嘆かれるのである。



パール判事は、敗戦を前に打ちひしがれ、自虐史観をもつ日本国民に対し
次のような言葉をのこしている。

なんと これは昭和41年の朝日新聞に掲載されたもの である。


パール博士から日本人へのメッセージ
東洋の政治的復活
(昭和41年10月11日 朝日新聞夕刊所載)  


4度目の来日中であった、パール博士が、朝日新聞記者に
 「日本の皆さんに」 というメッセージを託された。以下のものは、その抄訳である。

日本の皆さんに


私がこの老齢、この健康で今度日本にまいりましたのは、日本の皆さんに対する
私の敬愛の念を親しくお伝えするとともに、
みなさんに東洋精神の尊厳さを再び確立させていただくようにお願いしたいからでありました。


東洋は今、大きな政治的ルネッサンスを迎えようとしており、東洋の諸国は日本に注目し、
日本の奮起を期待しているのです。

現在、世界中で西洋化が進行しています。この西洋化は進歩に必ず付随する現象でしょうか。それとも、古代文明の例が
示すように、崩壊の兆候に過ぎないものでしょうか。ギリシャ、インド、バビロン、中国などの文明の歴史を大観してみると、
文明の発達を計る基準は、領土の拡大に見られる環境の征服や、技術の進歩に見られる自然の征服ではないことが
証明されていると思われます。

われわれの聖者マハトマ・ガンジーは、この西洋文明の宿命を予見しました。
そして、インドがみずからを救おうとすれば、
現代の西洋の技術を西洋の精神を排斥しなければならない、という結論に達したのでした。
この精神のシンボルが糸紡ぎ車(カール)です。
彼は、インドのすべての男女に、自国産の綿を手で紡ぎ、その糸を手織りにした綿布を身に着けるように説きました。
この手紡ぎこそ、インド国民の熱意とエネルギーを、物質的に行動面から精神的行動面への
切り替える必要性の象徴だったのです。

大英科学振興協会会長サー・アルフレッド・ユーイングが1932年の総会で、次のような発言をしています。

「科学は確かに人類に物質的な幸福をもたらした。だが、倫理の進歩は機械的進歩に伴わず、
あまりにも豊富な物質的恵みを処理できずに人類はとまどい、自信を失い、不安になっている。

引き返すことはできない。どう進むべきであろうか」と。

われわれすべてが当面しているのを同じ悩みを表現した感動的な言葉です。 (中略)

日本の青年に


自由の国、日本の青年の皆さん。あなた方もこの質問に答えなければなりません。いや、貴重な伝統という
財産をもつあなた方こそ、この世界的問題に答える最大の義務があるのです。貴重な伝統という遺産といっても、
輝かしい過去を想起するだけでなく、現在のあなた方のもつ潜在能力をも強く意識してほしいのです。

西洋の観察者の中には、すすで曇らせたメガネをかけて世界を見渡し、西洋化された表面だけを見、その下に
燃えているその土地独特の火を無視して、自己満足している者が多くいます。
つまり、わざと東洋の長所に目をつぶっているわけです。

その連中の思い上がった意見を受け入れてはいけません。
人種的劣等感は捨ててください。
日本人は世界文明に創造的な寄与をしてきたのですから。

また、西洋の「分割して統治せよ」という政策を警戒してください。

どんなに大切なイデオロギーのためでも、分裂してはいけないのです。分裂していると、その場かぎりのことでも
絶対的なことに見え、肝心の重要問題から注意がそらされます。

現在、全世界にわたってイデオロギーの戦争が進行中です。この戦争に勝つためには、
建設的理念をもち、相反する国際的、文化的イデオロギーを調和させなければなりません。
イデオロギーの相違を固執してはいけないのです。
現代は過渡期であり、身隊は現代にかかっています。現代は、伝統的に相いれない東洋文化と西洋文化が
接触している時代です。お互いの文明の価値を破壊しあうのではなく、相互に補い合うようにすることこそ、
次の時代のおもな仕事であるべきです。

若い日本の皆さんにお願いしたい。
物質的に順応するだけではいけない。精神的に順応することが大切です。

身近な仕事や目的に順応するばかりでなく、大局的なビジョンに基づいて仕事や目的を決めていただきたいのです。

人類社会に対する高い使命に燃えて、人生の意義を
十分に発揮していただきたいのです。





戦勝国で都合のよい裁判をし、日本に自虐史観を植え付けた国々には都合の悪いこともあろう

日本のジャーナリズムや法曹界がそれに金魚のふんのように追随していることに
異論を唱える人が出ても おかしくはないのではないか

success

「言論の自由」 というものが日本にあるのならば



■参考記事
『パール博士のことば』(東京裁判後、来日されたときの挿話) 田中正明著
http://www6.plala.or.jp/mwmw/kotoba.html

東京裁判① パール判決の生まれるまで 
http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/7303003.html

東京裁判② パール博士とはいかなる人物か
http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/7352442.html

東京裁判③ パール博士が最後に残したもの 
http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/7383542.html




しかし、日本のメディアも、報道をプロとするなら自虐史観に浸らずに、一般の人より日本の歴史をしっかり学んでほしい。

successのブログ  転載、させていただいた記事です




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